もう終わりにしよう。ネタバレありの感想レビューと考察
ネットフリックスでもう終わりにしようを観たのでネタバレありの感想レビュー
主人公の恋人の妄想が切ない。この物語の大半が不安と後悔を重ねた主人公の恋人の頭の中での妄想に過ぎない。
自分の解釈
まず、この作品を観た時に感じる不思議な雰囲気、よく分からない、人の孤独を感じる映画などというのは多くの人が持つ感想だと思う。約2時間もの間、自分は一体何を観せられたんだと思う人も中にはいるかもしれない。
結末まで観て、この映画を観た直後は自分も概ねそのような感想を持った。
が、自分なりにこの映画はなんだったのかと考えていると色んなことが見えてきた。
映画を観ているときにも所々でひっかかる所が多々あり観ている最中にも考えてはいたが、ラストまで観終わった後にそれまで見えていなかったものが浮かび上ってきた。
観ている最中は、実は主人公は記憶が蝕まれていく病に陥っているのではないか、と考えたりした。
しかし、物語の終盤で校舎に行き着き、映画をラストまで観終わると自分の考えがこの映画の真実を捉えていないと悟る。
掃除のおじいちゃんは、
主人公と恋人が訪ねた恋人の実家に住んでいる人物だと言うことは見逃してはいなかったので、まぁ主人公が病に侵されているというのは違うというのはわかってはいたのだけれど。
校舎に行き着き、物語が終盤になるとはっきりと分かるが、掃除のおじいちゃんは、恋人の現在の姿だった。
この人物は、自分の人生をもがいている。
自分の今までの人生が、無意味で味気のない孤独な人生だったという事実を直視したくない。
しかし、理想の入り混じった過去への回想と空想をやめると、そこには見たくない自分の空虚な現実、そしてまるで朽ち果てた犬の骨のように自分が辿ってきた実際の過去が横たわっている。主人公の恋人が抱える孤独と闇は恐ろしく根深い。主人公の恋人が頭を掻き毟る姿からもそれはありありと伝わる。
主人公に、もしかしたら恋人はいたのかもしれないが、自分の考える解釈では、おそらく過去にそのような人物はいなかった。映画の大半を占める車中での会話は、すべては妄想であり、歩みたかった理想の人生と出会いたかった理想の恋人との会話を空想しているに過ぎない。
だから主人公と恋人にはいくつも共通点がある。主人公は恋人にとっての、自分がそうありたかったという理想の姿なので、自分が描く絵より遥かに上手い。
理想の姿というのは、何も能力や才能に限った話ではなく、女性として生きたかったという思いも見え隠れしている。
主人公の理想は大きく分けると二つある。
一つは1人の大人の男性として、両親に自分の恋人を紹介し、結婚をして伴侶を得る人生を歩みたかったという理想。
もう一つは、女性として人生を歩みたかったという理想。
しかし、現実は身体の性別は男であるが、心は女性なので、故に、どちらの理想も現実にはなり得ず、主人公は50歳になった今でも理想とは程遠い人生を歩んでいる。自己実現は出来ていない。ちなみに、主人公の恋人の現在の年齢が50歳だと言うのは、空想の中で、20歳の誕生日なのに、50歳の誕生日と母親が言い間違いをするシーンからわかる。
なぜ、主人公が女性として生きたかったのが分かるのかというと、
まず、一つに幼少期の母親が子どもに及ぼす影響の話についての実家に向かう車中での会話がある。
続いて、実家にある子供の頃の写真に写る主人公に似た恋人の幼少期の写真。勘の良い人ならここで、この写真と、車中での会話により、主人公の恋人が同性愛者であると映画を観ている最中に分かるかもしれない。
主人公の恋人が同性愛者であるということは、この他にも映画の中の至るところでヒントが隠されているので、気になった箇所を列挙する。
主人公の恋人が自分が男性であるということにコンプレックスを持っていることがわかるシーンがある。それは終盤で、アイスクリームを買うシーンの俺が呼んでも怖がって来ないという発言である。
他に主人公の恋人の発言で気になるものとしては、他者と分類された子どもはみんな
子どもの頃を引きずっている。見えるんだ、黒いオーラが。という発言がある。
これが過去を引きずっている自分自身に対しての自覚を持っての発言であることは明らかである。
ソフトクリームのカップがいくつも入ったゴミ箱が写るカットによって、主人公の恋人の理想が入り混じった過去への回想とそうありたかったという妄想が何十回と繰り返されたものである事がわかる。妄想のたびに重ねるカップは毎回2つ。このことからも、主人公の恋人の理想の人生は二通りあったのではないか、と考えられる。
まとめ
多くの人々とは異なるアイデンティティを持つ、いわゆるマイノリティ側に属する人の人生がいかに困難な人生になり得るのか。
それに対し、他者の苦悩に鈍感でほとんど理解のない多くの人々と社会。そして他者の痛みや苦悩に対し、鈍感であり、見ようとしていないことは主人公の恋人は自分自身もそうであると自覚している。
他人の痛みや苦悩は計り知れないのだから、闇雲に中傷せずに、他者には出来るだけの思いやりを持ち、それぞれの人間がそれぞれに持つアイデンティティを受け入れて、多様性に対し、寛容になること。それが回り回ってこの社会に生きる自分自身が幸せに生きられることに結局は繋がっていくんだよ、と。
とまぁこんな風にこれが、自分はこの映画の一つ伝えたいメッセージなのではないかと思ったりした。
終わり。